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2008年2月28日 (木)

植えもん屋的改造へのみちのり。

みなさまこんばんは。

毎日ハイテンションな肉体労働が続いている植えもん屋でございます。その様子をちょっとだけご紹介でございます。

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まずは老朽化した屋根の解体から始めました。

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朽ちかけているこの横木を弟がのこぎりで一本ずつ撤去。

これだけで3日を費やしました。

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高枝切りばさみでその作業の補助をする叔父。

003 和風コーナーをつくっていた部分の砂利を取り除いていく叔母。

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古くなったウッドデッキもためらわず解体。

008 弟がつくったばかりだったこの花壇も全部撤去。

さて。この雑然としている店がどのように変わりつつあるのか。またいずれご覧いただきたく存じます。

作業を始めて十日ほどたちましたが、まだまだ先は長そうです。なにしろ全てが手作業ですのでね。

そろそろ疲労と、筋肉痛と、精神力との戦いに突入でございます。でも、その合い間に何かをつくるという喜びは存在するのでした。だって、この空間自体が喜んでいる気がするのですから。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2008年2月27日 (水)

「木は桂。」

みなさまこんばんは。

少しずつですが、植えもん屋の改造が進んでおります。毎日手を入れるたびに空間に命が吹き込まれているようです。もしかしてこの場所はずっとこうして欲しかったんじゃないかなって思うくらい、あらわれてくる表情が植えもん屋に似合っております。

なにもない場所にそれなりの資金をかけての店作りであれば、簡単だし楽ですが、そんなことはいろんな制約があってできないし、またそうはしたくないのが植えもん屋の心意気。自分たちの手で、自分たちの信じるものをこしらえてゆくほうが絶対面白くていいものが出来るって思っております。うふふふふ。こんなへんてこな店、なかなかつくれますまい。

で、一昨日、店の屋外スペースに桂の木を植えました。育苗畑に植わっていた、4m弱の樹高のものを5人がかりで堀り上げ、移植したのでした。これから当店のシンボルツリーとなる木です。何故この木かというと、樹形が自然に整うのであまり人工的な感じがしないから、ということと、新芽の芽吹きの美しさと黄葉が楽しめるから、ということです。落葉樹なので、冬は日当たりが確保出来ますしね。

でも、それ以上に、清少納言が「枕草子」で「木は桂。」と挙げていることが私たちの心をゆさぶったのでした。そんな遠い時代から、日本人の美意識を刺激してきた木であること。そういう歴史や物語がある植物が存在するということも、植えもん屋に深みを与えてくれそうで。

最終的にはこの場所が、人間の生活域と自然のあいまいな接点のようになるといいなって思うのですけれども。あくまで理想なんですけどもね。

弟はその屋外スペースの片隅に、夜になったら角打ちが出来るような空間をつくりたいとの野望を抱いているもよう。お客様がいらっしゃらない時間に、四季を感じられる空間を眺めながら、こっそり芋焼酎を飲むことを目指して猛進しているらしいのでした。なんでもありなんですな。植えもん屋は。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2008年2月22日 (金)

夜の愉しみ。

みなさまこんばんは。

え~、現在植えもん屋を改造中でございます。で、屋外のコーナーの老朽化した木材を壊したものですから、なんだかぼろぼろの角材がてんこもりになっております。

なので、最近は店で夜な夜な薪ストーブを焚き、湯たんぽのお湯を沸かしつつ、テレビを見たり、店作りの参考になりそうな洋書や雑誌を読みふけったり、時には電気を消してお月様を眺めたり、炎の揺らぎがつくりだす陰影の妖艶さに見入ったりしながらビールを飲んだりしております。わあ、なんという贅沢な時間なのでせうか。

思えばまき衛門はこの場所を離れようと決意して、そのことで家族が急な変化に戸惑わないようにと、ずっとここでの自分の居場所を縮小しつづけてきました。なので、帰ってきてからというもの、実はまき衛門はちょっと居心地の悪い思いをしておりました。いろいろありましたもので、何もかもが元通り、というわけにはいかないのも当然なんですけれどもね。逆に元通りでも、それはそれで別の居心地の悪さはあったわけで、そこに戻るのは意味がない。

多分、今やっている店作りは、同時にまき衛門の新たな居場所作りでもあるのかもしれません。なんか、毎日が夢遊状態というか、夢うつつというか、とにかく何も考えられずにただ体が勝手に動いてるような感じです。かなり動く分、体はしんどいのですけれども、今やってることはきっと未来の自分たちを助けてくれる、と思えるので、もう動かずにはいられないと申しましょうか。

で、日中何かに操られるように動いているので、この夜の静かなひとときっていうのが、とても貴重な時間だなって思うのでした。昼間動いているときはどこかに浮遊していた心が、このひとときだけは自分に戻って来てくれる、そんな感じなのでした。

そうして一刻として同じ形ではない炎を見ておりますと、人生いろいろありますけれども、自然の流れに逆らわず、自然の気とか流れとかが今自分に何を求めているのかを感じて、身を委ねていればいいのかなあって思えてくると申しましょうか。庭の世界には「乞はんに従う」という言葉がありますが、多分そういうことなんではないかなあと思ってみたり。

なんだか、とてもいい時間です。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2008年2月21日 (木)

委ねる。

みなさまこんばんは。

東京から帰ってきて、一週間ほどがたちました。

で、今は毎日店作りに励んでおります。店は見世、つまりお客様に何かを見ていただける場所であるべきだって思っているそのことを実践するために。

でも、ひとりでできることはあまりにも少なくて途方に暮れていたのですが、まき衛門の思いに、今までなかなか理解を示してくれなかった家族が、ついに動き始めてくれて、更に親戚まで手伝いに来てくれて、大にぎわいの店作りが始まったのでした。

老朽化した屋外の店舗のもろもろを壊したり、レンガや材木や岩や枕木を運んだり、いろんなアイデアを出し合ったり。

いろいろと制約がある中で、それまであきらめていたもろもろのことを、やってしまおう、という空気が生まれて、気がつくとみんなしんどいことをやっているのに、なんだかとっても楽しそうです。機動力だけはある植えもん屋ですので、それぞれの得意なことをそれぞれが受け持ってやっているのでした。

みんな、本当はずっとこんなことをしたかったのじゃないかなって思うくらい、歯車がしっかりかみあって機能しているように見えます。こんなことは初めてです。

今までは全員O型の頑固者集団ですので、みんなでなにかやるっていうと、必ず衝突していたんですけれどもね~。今回の店作りは、お互いに何かを委ねている、程よい距離感が存在しているような気がします。とても自然ななりゆきのなかにいるような。

どんな店になっていくのか、まき衛門にもまだよくわかりませんが、折りに触れてその経過などご紹介できればと思っております。え~、かなり田舎的な雰囲気を醸し出したい、とだけ申し上げておきましょう。コンランショップを見てきたことが、へそまがりんぐまき衛門の頭の中ではそんなふうに解釈されちゃうのよね~。おほほほほ。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2008年2月16日 (土)

多分、聞こえる。

みなさまこんばんは。

ご存知の方も多いかと思うのですが、今月の4日、NASAがビートルズの曲「Across the Universe」をスペインのパラボラアンテナから北極星に向けて送信した、というニュースを翌日の夕刊で読みました。なんでもこの曲がレコーディングされてから40年たつのだそうで、熱心なファンの働きかけで実現したのだとか。

この記事を読んだとき、ああ、なんてロマンチックなことをするんだろう。NASAも心憎いことをするなあって、思いました。北極星にビートルズを聞かせるなんて、夢がある、なんて思って。

でも、しばらくして、なんだかそれって、ちょっと切ない話なんじゃないかって思い始めたのです。だって、これは人間のつくった音楽を機械で信号に変換して送信するもので、北極星は受信機を持っていなければ聞くことができないわけです。この広い宇宙の、たったひとつの星に向けて送られるメッセージを、相手は受け取ることができない。というか、気付かない。なんか、片思いみたいだなって。

でも、そのあと、またこんな風に思うようになりました。この宇宙に存在するものって、命あるものもないものも、等しい感受性みたいなものをその原子に持っているのではないかなって。例えばモーツアルトの曲や、「ありがとう」という言葉を聞いた水が氷になると、その結晶はとても美しい形になる、と聞いたことがあります。それと同じように、人の生み出した素敵な音楽を、星も等しく感じてくれるんじゃないかなって。地球から放たれる、ただひとつの星のための音楽を、その体全体で感受してくれるかもしれないなって。

多分、北極星は、その言葉の意味はわからなくても、そこに込められたメッセージを、ただ、等しい感覚で、聞いてくれる、そう思うのでした。

ただ、曲が届くまで400年以上かかるってことなんですけれどもね。ま、宇宙時間で考えると、400年なんて、ほんの一瞬なのかもしれませんが。

それでは本日はこれにて。みなさま、どうぞ良い星夜を。ごきげんよう。

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ニュートラル。

みなさまこんばんは。

各方面にご心配、ご迷惑、大混乱をまき起こしての東京滞在から昨日無事に帰ってまいりました。

ええ、ディープに申しますと、今回本当は植えもん屋を卒業し、東京で部屋と仕事を探すつもりでした。実際そういう行動をしておりましたのです。それなりの下調べもちゃんとして、住みたい場所、不動産やさん、転職候補の会社も訪ねたり。

ああ、なのに、なのに。まき衛門はそれらを全部やめて、地元で暮らすことを選んで帰ってきてしまったのです。

それは、ある場所に出会ってしまったからでした。そこは前回の上京の際、たまたま通りかかって、でももう閉店の時間だったので、いつかまた機会があったら来ようって思っていた場所でした。

でも今回そんなことはすっかり忘れていて、行くはずもなかったのに、いろんな偶然が重なって、あ、そういえば、と思い出して訪ねた場所でした。

それは新宿パークタワーの中にある「THE CONRAN SHOP」新宿本店というところでございます。家具デザイナーであり、実業家であるテレンス・コンランが手がけるショップのひとつなのですけれども、この空間の面白さに圧倒されると同時に、まき衛門が植えもん屋をやるのだと決めたときの原点の気持ちを思い出したのでした。

吟味されたお洒落な家具と、素敵な雑貨、それらを魅力的にディスプレイしているショップなら、きっと星の数ほどあると思うのです。実際、同じCONRAN SHOPの丸の内店にも行ってみました。素敵でした。でも、まき衛門的に、何かを感じることはありませんでした。

何故ピンポイントでこの場所なのかというと、ここのディスプレイが、詩情や、物語を感じる、とっても情緒あふれる空間になっていたからです。その空間は、ただお洒落に見せるとうことだけでなく、とても上質な遊び心に満ちていて、かなりきわどい所で成り立っているディスプレイがあったり。来た人を楽しませることにとても貪欲で、でもさりげないバランス感覚が心地よくて。

そしてショップの窓から見える小さな神社の赤い鳥居と、ほころび始めた紅い梅の木がさらに詩情をかきたてて、まき衛門はすっかりその空間のとりこになってしまったのでした。

ああ、そうだ。まき衛門が植えもん屋としてやりたかったことはこういうことだった。来てくださったお客様に、植物のある空間を楽しんでいただける、詩情や物語のある、そんな店をつくりたいと念じて始めたのではなかったか。最先端でお洒落な店なんてできないけれど、植物がアートなのだと気付いていただける、植えもん屋だからこそ出来る空間づくり。

そう思ったら、たまらなくなってしまったのでした。いつか、ではなく、今からそういうことをやらなくてはいけないんじゃないかってすごく心が揺さぶられてしまったのでした。

今の地元での植えもん屋業界は、正直楽観できる材料はなにひとつない。長引く不況に、市場の倒産、花を売る業者のかつてないほどの乱立、業界全体の伸び悩み…。東京で確実に収入を得られるのなら、それのほうがはるかに気持ちは楽なはずなのに。

でも、とりあえず、地元に戻って、やれることはやろう、と思ってしまったのでした。やはりあほなまき衛門でございます。

ただ、そうは言いながら、本当にいつどうなるかわからない、とてもあやうい状況ではあるわけです。やりたいことをやりとげられるのか、も。だから、あくまでもニュートラルな気持ちでいようって、今は思ってみたりしています。

思いつめないこと。こだわりすぎなこと。でも前を見ていくこと。

そんなこんなで、お騒がせいたしましたが、しばらくこのブログのタイトルはかわることがないようでございます。「フリーターまき衛門」とかになるかもと思ってたんですけどね~。こんなまき衛門ですが今後ともよろしくお願い申し上げるしだいでございます。深々とおじぎ。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2008年2月 6日 (水)

風媒花。虫媒花。

みなさまこんばんは。

突然ですが花って、多くの植物にとって子孫を殖やすための生殖器です。なので、受粉することが必要です。

中には自分自身でなんとかしちゃう、自家受粉ができるタイプの花もありますけれども、大抵は外部の何かの力に頼って受粉し、種子をつくる、ということが多いようです。

代表的なものというと、「虫媒花」と「風媒花」かなって思うのですけれけれども。

虫媒花は文字通り虫の力を借りて受粉します。虫をおびき寄せて花粉を運んでもらわなければなりません。なので、虫に見つけてもらいやすいように、花はカラフルな色になったり、目立つかたちになったり、甘い香りを出したり、甘い蜜を与えたり。なんだかとても巧者です。積極的で、生きることに貪欲な感じがします。

一方風媒花は、風が頼りです。いつ吹くかわからない風を待って、でもちゃんとその時が来たら花粉を遠くにとばしてもらえるように、たくさんの小さくて軽い花粉を準備して待っています。で、風と言うのは植物サイドの意思でつくれるものではないので、風を誘うような仕組みはもちろん持っていません。だから風媒花はちょっと地味です。スギやヒノキもこの仲間。たくさん花粉を飛ばします。稲も確かそうだったと思います。ただただ風が吹くのを待っています。

いつも植物って、この世のいきもののご先祖様だなってしみじみ思います。いきものの性格、とか、生き方みたいなものって、進化の過程から派生した個々の植物の性格の遺伝子なんじゃないかって思うことがよくあるのです。

だとしたら私は、風媒花だなって、思います。自分自身を着飾って何かを捕まえようなんてあまりしないし、できない。むしろとりあえず目立たない場所でこそこそと何かをたくらんでいて、風が吹いたらその方向に吹かれていく。風が吹くまではたくさんの何かを抱えていっぱいいっぱいだけれど、そういうことが嫌いじゃない。風がちゃんと吹いてくれるから。

ということで、明日から風に吹かれてきます。どこに着地するのかはまだわかりませんけれど、とにかく風が吹きました。まき衛門の心はいまとってもかろやかです。不安もあるけれど、吹かれる方向へ行くだけです。

そんなわけでしばらく留守にしますが、またお目にかかれることを楽しみにしています。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2008年2月 1日 (金)

あやうく洗脳されるところであった。

みなさまこんばんは。

昨日の夕刻、お客様にお説教をされたまき衛門でございます。薪ストーブを焚きながら、2時間ほど。

かなりいろんなものにくるまれて放たれる60代の女性の言葉を、ゴールキーパーのように心のなかで跳ね返しながら、真っ向からうけとめないように必死に防御していたのでしたが、2時間、という時間がまき衛門を酸欠状態にさせ、普段はこんなこと平気なはずなのに、最後はオウンゴール状態で、すっかり落ち込んでしまったのでした。

ああ、私って、人生間違って生きてきて、植えもん屋として信じてきたことの全部に意味なんてなかったんだ。自分らしく生きる。逆にそれは恥ずかしいことだったのだ。私はとってもだめな人間なんだ。つくってるものも全部だめだ。ああ、今までまき衛門のつくったものを買ってくださったすべてのお客様にごめんなさいってあやまりたい。

そう思ってしまうくらい落ち込んだのでした。

やわらかく慎重に言葉を選んでその方がこんこんと説かれたことは、要約するとこういうことでした。

1.植えもん屋の仕事の中で、女性の姿が見えすぎている。現場の仕事は男性がすればいいのであって、母やまき衛門が参加することは不愉快である。女性は、男性の職場にいるべきではないし、家から出てはいけない。仕事で運転することも恥ずべきことだ。

2.独身女性がいつまでも仕事をしているのは見苦しい。仕事をして頑張っていることが許されるのはお嫁に行く前までで、結婚をして家庭を守ること以外に女性が仕事で生きがいを見出すなんて、意味がない。女性に個性があるなんて許されない。

3.人間は食べること、着ることにはお金をかけるけど、植物にはお金をかけたくないものだ。植えもん屋なんて利益のあがらないことにうつつをぬかすのはやめたほうがいい。植えもん屋的に勉強したり、美術館に行くことは何の役にもたたないし、そうしたいのははしかみたいなものだから忘れたほうがいい。

4.まき衛門のつくるものは田舎くさい。もっと都会的でカラフルで見栄えのするものが作れないなら、植えもん屋なんてやっても意味がない。もし続けたいなら少しは都会の花屋を見習うべきだ。

5.まき衛門の生き方、考え方が根本から間違っている。

こういうことを柔らかな物腰で、たたみかけるように2時間ささやかれ続けますと、なんか本当にそんな気になってしまって、私はしばらく豆腐の角に頭をぶつけたくなるくらい生きていることが恥ずかしくなりましたよ。そしてどっぷり落ち込みましたよ。私、いえ、私の家族のあり方もいけないことなんだなって。そのお客様が、いつも植えもん屋一家に好意的な方でしたので、余計に。

で、外仕事から帰ってきた母にそのことをおそるおそる告げますと、けろりとして「あの人は、というか、この地域のあの年代の人はみんなそんな考え方をするから、気にする時間がもったいない。ほっとけほっとけ。ま、植えもん屋が利益のあがらない仕事っていうのは当たってるけどね~。」と笑うのでした。冷静に考えたら、なるほどその通りですな。ということでまき衛門やや復活。

そして、今日、まき衛門のお届けした寄せ植えに詩情を湧かせてくださって、そのブログでとても素敵な物語を紡いでくださった方がおられたのでした。多分植えもん屋的に、これ以上の幸せって、ないのじゃないかって思います。まき衛門は都会的で見栄えのするものがつくりたいのではなく、誰かの心に何かの種をまくようなものをつくりたいって夢見てきたのですから。救われた気がします。本当に感謝でございます。

なんだかんだで、負の感情の反動からなんかやる気、というか負けん気が戻ってきた気もするし。昨日はビールも飲めて、ぐっすり眠れたし。心身ともに回復傾向かなって思います。ご心配くださったみなさま、ありがとうございました。

それでは本日はこれにて。長々とお付き合いくださってありがとうございました。みなさまごきげんよう。

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