脈絡のない。
みなさまこんばんは。
人間の思い出って、6割が「たのしいこと」で、のこりの4割が「かなしいこと」と「どうでもいいこと」で構成されているという調査結果があるのだそうです。世界中どこでどんな人種の人を調べても同じなのだとか。
それは世界中の人がちょっぴりおめでたいから、とかいうことではなくて、悲しい記憶は消去しながら生きていかないと、心のバランスが崩れてしまうから、という人間の防衛本能によるものではないか、とのこと。
そういえば、大学時代の先輩は、長い間、失恋した日の記憶を丸一日分喪失していた。そうやって、知らず知らずのうちに深い悲しみを封印し、あとは何事もなかったように笑っていた先輩を見ていて、人間て、もろいけど強いなって、感じたことを思い出した。
まき衛門が自律神経をおかしくしてしまって日常生活にも支障をきたしていたとき、鍼治療をしてくれた先生が「人間は歌って踊って笑っていたら、病気にはならないそうですよ」って言っていた。歌うことも、踊ることも、笑うことも、内側にあるものを外界にむかって放出することなのだな。元気をなくすときは、内側にいろんなものを堆積させたまま、どうしようもなくなっているときかもしれない。先生の治療はまき衛門の体に元気になる方法を思い出させてくれた。
「中庸」という言葉が好きです。過ぎていない。及ばなくもない。ほどほどのところに漂っている感じ。求めすぎては受け容れる隙間がない。求めなければ始まらない。何かをちぎるような無理はしないこと。ほどほどにね。と自分に言い聞かせているこのごろ。
絵本作家のターシャ・テューダーは言っていた。「私はあきらめなかったわ。どんなに中断されても、じっと辛抱強く続けたの。だから夢がかなったの。」と。さて、その法則の真偽のほどはわからないけれど、何かにむかってこつこつ積み重ねたことはきっと自分を裏切らないだろうと思う。
「明日という字は明るい日と書くのさ」という歌詞の切ない願い。「明日はまだ何も失敗していない日」という赤毛のアンの大発見。
さいきん脈絡もなくこんなことを考えてみたりする。
それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。
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この光景を見ていると、なんだか妙に落ち着きます。


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