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2008年6月16日 (月)

おしえておじいさん。

みなさまこんばんは。

え~、昨日、ちょっとした外仕事の帰りに、とある神社に立ち寄ってまいりました。藤の花の頃はたくさんの見物客でにぎわうその神社ですが、普段はとても静かで、なんだかいいところだなあって思いましたので、ご紹介しようかなあと。

080614_14530001 境内にはこのように、地上に走る根っこがいかす木々がありまして、神社そのものもなかなかいい感じだったのですけれども、

080614_14450001なによりも神社をとりまく風景そのものにまき衛門はすっかり魅了されてしまいました。

080614_14460001 自分の立つ足元のすぐ横を、こんなにきれいな水がふつうに流れている、ということの高揚感と安堵感と。そして、本当に何気ない木々の存在がとてもよくて、なんだかとっても嬉しくなっちゃいました。

カジカガエルの繊細な鳴き声もそこここから聞こえてきましてね。

080614_14490002_2 そして昨日は土曜日だったので、近所の子ども達がこの川にかかる石橋で釣り糸を垂らしていました。「何が釣れるの?」って聞いたら、「ハエ」と答えが返ってきました。

「いい遊び場があっていいね」って声をかけてその場をはなれたのですけれども、こんな場所を原風景として育っていけることを、本当にうらやましいなって思ったのでした。

最近、まき衛門は、なんというか、こういう人と自然が近しい場所を、すごく欲していて、そして、そこの地元住民でもないのに、どうやったらこういう風景とか、人の営みをつなげていけるのだろうかと考えてみたりしています。

でも、今のまき衛門はあまりにも無知だし、あまりにも無力なわけです。

ということで、生態系のこととか、食物連鎖のこととか、自分達をとりまくたくさんのことたちの関係性を、一度がっつりと勉強してみたいなあと思い始めました。この世に存在する物事の仕組みを、ただ感じるだけじゃなくて、きちんとした筋道として知りたいなって思っちゃうわけです。

でも、それは何をどうしたらいいのでしょう。小学校の算数でさえ意味不明で挫折したまき衛門なのでございます。高校の生物の時間にメンデルの法則で頭が混乱し、いまだに修正できてないまき衛門なのでございます。ああ、果たしてこの淡い夢の行く末やいかに。

まき衛門がハイジだったら、「口笛はなぜ遠くまできこえるの?あの雲はなぜ私を待ってるの?雪の山なぜバラ色にそまるの?あの風はどこにかくれているの?眠るときなぜ星はそっと見ているの?わらの中なぜいつもあったかいの?」とおじいさんを質問攻めにすることもできるでありましょうに。

ま、要するになにか始めたいという話なんですけどもね。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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コメント

まき衛門さん、こんにちはー。
お忙しい時期を、きっと充実してかっこよく切り抜けられて、ほっと一息のこの頃でしょうか。少し休むと、すぐに次にやりたいことがふつふつと沸いてくるまき衛門さん、なんだかとっても大好きです。あやかりたいです。
ところで私は、この世のしくみは、ただそれぞれがそれぞれとして雑然とあって、筋道としてなりたっていないような気がしています。だから、好きな何かについてだけ勉強すれば、あとはそれと関係のあるその周囲ってことでついてくるような…。あ~だから私は勉強が進まないのかも…。
それにしても楽しみですね、いろいろ。

投稿 ここ | 2008年6月16日 (月) 11時02分

ここさんこんばんはです~。
いつも心強いコメントありがとうございます。今回いただいたコメントもとっても嬉しゅうございました。おじぎ&おじぎ。

今回のここさんのコメントを拝見しながら、漠然と「色即是空 空即是色」という般若心経の言葉を思い出しました。
で、改めて意味を知りたいなあと思って調べましたら、あるお寺の住職さんが「色とは目に見える、形のあるすべてもので、空とは宇宙を生み出した原初の力のこと。だから決してこの世が虚しいということではないんだ。宇宙と呼吸を合わせて生きれば無理がないということでもある。」というようなことをおっしゃっているのに出会いました。

なんだか目からうろこでした。

最近、本当に自分の中身のうすっぺらいことに不安を感じていて、植えもん屋を続けていくうえでも、もっと太くなりたいなあとか、自分の殻をやぶらなくてはいけないなあとか、思ってみたり。ひとつところで一点を見据えて生きることも悟りをひらく方法だろうし、たくさんのことにも触れながらその奥に流れる一本の糸を発見することもまた大事なことなのかなあとか。

で、そうこうしているうちに、結局それぞれはそれぞれであり、筋道はないのだなあというところにいきつくこともまたありなのかもです。

でも、本当に何かを始められるのかは、今のところ、まき衛門にもわかりません。なにしろかなりおしりが重たくて、しかも飽きっぽいのでした。(汗&汗)


投稿 まき衛門 | 2008年6月16日 (月) 23時39分

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