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2008年6月24日 (火)

足裏につたわるもの。

みなさまこんばんは。

最近少し悩んでいました。あるいは迷っていた、と申しましょうか。

まき衛門には植えもん屋界の師と呼ぶべき人がいません。両親が始めた店を手伝っているのですから、もちろんいろんなことは両親に教わりながら、また見聞きして覚えてきたわけなのですけれども、そういうのって、もっと自分の世界を広めたいなって思うとき、やっぱり壁があるなあって思うのです。

やはり自分の中に確固とした価値観を築くためには師の存在って大きいのだろうなあと思いつつ、師と呼びたい人、というか、この人の仕事であれば、無条件にまき衛門の感覚を満たしてくれる、と思える園芸家の存在を、まき衛門はまだ知りません。

もちろん尊敬すべき方々はたくさんいます。すごいなあって思う方もたくさんいます。著名なガーデナーの作品を拝見するにつけましても、いつもかなわないなあって打ちのめされております。また、今の園芸界はどんどん新しい才能が開花していて、刺激的なのですけれども、どうしようもなくわがままで気分屋なまき衛門的に、まき衛門の感覚を寸分たがわず満たしてくれる園芸家って、まだ出会えていないのです。

で、迷いと悩みの糸をよりよりして悶々としておりましたところ、あ、これって、霧を晴らすきっかけになるのかもしれないと思う作品に出会ったのでした。というか、出会いがしらに胸ぐらをつかまれて一本背負いされた感じと申しましょうか。

それはですね、庭でも、寄せ植えでも、盆栽でもなくて、新日曜美術館で紹介されていたアボリジニの画家、エミリー・ウングワレーのアクリル画なのでした。オーストラリアの赤い大地の上で自然と交感しながら生きた女性の、命や祈りや世界観や人生がまるごと叩きつけられたような、それでいて繊細でしなやかで、開いた口がふさがらないくらいとても魅力的な作品なのでした。

それはテレビの画面を通してのとても間接的なことでしたけれども、それでも、その作品群の持つ力が、ぐいぐいとまき衛門をひき込み、またぐいぐいとまき衛門を圧してくるのでした。

それはエミリーが、足の裏で常に大地と、そしてその歴史と、繋がっていた強さだと思えてならなかったし、大地と繋がることはつまり宇宙の力と繋がっているに他ならないと思えてなりませんでした。

そしてね、その作品たちに猛烈に会いたくなったのですけれども、今は国立新美術館まで会いに行くことはできないので、またいつの日か会えることを切に願いつつ、ふと自分のことをふりかえってみたりしたわけです。

私も、足の裏でこの土地とつながりたいなって。そして、そこから湧き上がってくるちからで、生きたいなって。そしてその力を信じたいなって。噂によると、九州って、大地の持つ力がとても豊富なのだとか。だから生命をとても元気に育むのだとか。そんな力に身をまかせて在る、植えもん屋でありたいなって思い始めました。やはり行き着くところは自然が師、ということかなあと。だってね、著名な園芸家の方々は、一度東京(あるいは世界のどこかのマスメディアの発信地)というフィルターで濾されて世に出た方々なわけで、この地のために存在する園芸家の方々じゃないですものね。まき衛門の感覚とぶれがあっても当たり前だよな~と。

などと不遜なことを考えつつビールを飲む夜は更けていくのであった。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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コメント

まき衛門さん、こんばんは。
私はこの頃ずっと、先生がいない頼りなさや怖さと、周りには先生がいっぱいという幸せの両方をひしひしと感じています。それで、この記事を読みまして、「ああ、まき衛門さんも私と同じなんだなあ」って勝手に思いました。
それで「そうだ、足の裏で立つのが大事」!そう。何しろ私はすぐ楽な方へ楽な方へと漂ってしまって、気がつくとしっかり立ってないことが多いのです。自分で自分の今いる場所にしっかり立って、足の裏で感じないとですよね。
先生がいっぱいの幸せです。
なんのことやらなこと言ってすみませーん。ではまたー。

投稿 ここ | 2008年6月25日 (水) 00時45分

ここさんこんばんはです~。
コメント、ありがとうございます~。

先生がいない孤独と、先生がひとりではないありがたさと、ありますよね~。多分先生がいないことというのは、歩くときにいろんなものにぶつかって前に進まなくてはいけなくて、その行き着く先がどこなのかもわからなくて。
だから私はだめなのかなって思ったりしていたのですが、足の裏から伝わってくるものをそのまま素直に体内でうけとめたとき、答えはおのずと絞られてくるのかもしれないと、ぼんやり思ってみたりしています。

何が一番自然なことかな~とか、何が自分に一番無理がないことかな~とか、私もかなり楽な方へながれているのですけれども、それが足の裏から伝わってくることであれば仕方がないのであ~る。(笑)

投稿 まき衛門 | 2008年6月27日 (金) 00時07分

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