2006年11月 4日 (土)

花壇と恩師と植えもん屋

みなさまこんばんは。花市場で「お嬢」と呼ばれているまき衛門でございます。私は美空ひばりか。こんなに愛くるしいレディーなのに。まあいいんですけど~。確かにまだまだぺーぺーのくせに態度だけは一人前にでかいですのでね~。

さて、本日は花壇の植え込みに某社長様のお宅にうかがってきました。広い花壇なのに風が強いところなのであまり背の高いものが植えられず、立体感が思うように出ませんでしたが、ご予算に上限がありませんでしたので、割と自由に植え込みをさせていただきました。

_008_2 奥行きはあまりないものの約5~6メートルくらいの長~い花壇。天然石灰を撒き、耕していきながら、いろいろ考えてみたもののあまりにもとりとめがないので、運と勘にまかせて配置を決め、植え込みをしました。

_026_3 こんな感じになりました。

_020_5 まき衛門は点描のような植栽が好きでございます。濃い色をちょこっとだけ使い、あとは淡い色をひたすら重ね続けます。植え込んですぐなのでまだお互いが人見知りしているような花たち。あと1~2週間もすればすんなり馴染んで落ち着いた感じになります。ボリュームも出て勢いも生まれてくるでしょう。ここから先はお天道様におまかせでございます。ちょっと斜めの角度で撮りましたので見にくかったらごめんなさいです。

実は今月から弟が植えもん屋になりまして、この植栽を手伝ってもらいました。一人だとこのサイズの花壇は土ならしも含めて1日かかりますが、4時間で完成!やはり早いです。

で、午後からは明日知人の家でミニ青空植えもん屋をひらくので、(そこのご近所さんが花を買いに来てくださるのです)その準備のため、花をワゴン車で2往復分運んできました。で、花を車からおろしていたところ、声をかけてきたご婦人が。「覚えてる?」というその方の顔を見るとなんと小学校1,2年の時の担任の先生ではありませんか。偶然そこの家に遊びにきていたそうで、もうかれこれ20数年間お会いしていなかったのですが、すぐに分かったといわれました。「だって、あの頃と顔が同じだもの」って、私は一体どれだけ成長していないんだ、と思いつつこの先生のおかげで文を書くことが好きになったので、いつも感謝している恩師なのでした。それにしても、なんと素敵な偶然なんでしょう。

ところで顔といえば、街で以前男の人に呼び止められたことがありました。キャッチセールスか何かかと思って警戒していると「M幼稚園の黄組にいたでしょ?」と言われました。そのとおりなので驚いていたら「同じ組にいた○○だよ」と彼。そして「幼稚園のときからちっとも変わってないからすぐわかった」とやはりいわれたのでした。幼稚園のときと同じ顔。このときもどれだけ成長してないんだと複雑な気持ちになったのでした。

で、彼と同じ幼稚園同士話が盛り上がったかというとそうではなく、ちょっと気まずい雰囲気に。何故ならまき衛門は彼のことをさっぱり思い出すことが出来なかったからでした。申し訳ないことしちゃったなあ。

それでは本日はこれにて失礼いたします。みなさまごきげんよう。

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2006年11月 1日 (水)

たまねぎ畑でつかまえて

今日は少し早起きして、たまねぎ畑の草むしりをしてきました。正確に申しますとたまねぎの育苗畑、ですね。あと1~2週間したら堀り上げて、100本単位で束ねて店売りをするのですが、苗より草が育ちすぎてどこに苗があるのかわからなくなったため、午前中ひとりでひたすらむしっておりました。

当店の育苗畑は山の上の静か~な住宅街の中にぽつんとあります。道が狭いため、車もほとんど通らず、聞こえるのは周りの家の生活の営みの音と、鳥の声、小学校のチャイム、郵便配達のバイクの音くらい。

そんな中で誰とも口をきかず草むしりなんぞしておりますと、すごーく人の世がうっとうしくなります。普段、自然に近い生活をしてはいるものの、植え門屋は接客業であるため、人のいい面だけでなく、かなりえげつない面をダイレクトに見てしまうことも。なのでどんよりと疲れてしまうこともしばしばです。けれど、このように土に触れ、膨大な量の緑を見ながらいろんなこと考えたりなんかして、自分の世界に入り込んでしまうと、あまりの心地よさに「もうあの猥雑な世間には戻りたくないな~。このまま緑と光と水に囲まれたところで、気のおけない人たちとだけ交わる生活がしたいな~。」と思わず出家に近い感覚に憧れてしまうのでした。

ですが、まだまき衛門はちゃんと人の世で生きていかなければいけない。食べてくため、いろんな夢を叶えるため植え門屋として働いていかなければならない。なので、まき衛門の身体から抜け出して、どこか静かな世界に行こうとしてしまう心をあわててつかまえ、たまねぎ畑をあとにして店に戻ったのでした。店で、お客様に再び向き合ってみると、最初はちょっと違和感を抱いたものの、ちゃんといつもどおりに仕事ができたので、「良かった、こころがここに戻って来ている…。」と感じて安心したのでした。

そういえば、小学生の頃、朝夕祖母のとなりでいつも般若心経を聞いていたせいか、「将来は尼僧になりたい」と憧れて、母に反対されたことがありました。「あんたはまだこどもで、女として生まれてきたことの幸せをなにひとつ味わってないんだから、そんなこと考えるもんじゃありません。」って。ちょっと変わった子どもだったかもしれない。そのあとは天文学者か、考古学者になりたかったんだけど。ちなみに保育園のときは女の子全員がお姫様かお嫁さんになりたいといってたけどまき衛門は仮面ライダーになりたかったです。そして今にいたる。

それではまた。おやすみなさい。

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2006年10月30日 (月)

クスノキのおんがく

今日はイベントへの出店のため、、大学と、保育園と、老人ホームが隣接する、田んぼに囲まれた小高い丘の広場で一日をすごしました。晴れて、空はとても高くて、風は心地よくて。

それは老人ホームに勤めている友人の頼みで、地域への感謝祭をするからにぎわいに店をだしてくれないかということでの一日。スタッフのみなさんがとても快くむかえてくれて、あたたかな時間の流れを感じられた一日。

10数軒の食べ物やさんや雑貨やさんとともにそれぞれのテントのしたで店をひろげたのですが、私たちに割り当てられた場所にだけ、クスノキが立っていて、まだ若い枝に繁っている葉がいい感じに影をつくってくれていました。そして数分に一度、その実がテントや地面に落ちてくる音が聞こえるのです。ことん、ことん、ことん、ことん…、それはいつも突然で、でも心地よいリズムをもっていて、まさに自然の奏でるおんがく。そして子ども達がその実を拾っていて、こんな中で仕事ができるなんて、なんて楽しいんだろうって、思いつつ、心からの笑顔で接客。

ふと、木に耳を押し当てると水がその中を走る音が聞こえることがある、という言葉を思い出し、お客さんが途切れた時間に、右の耳をあててみました。喧騒のなかで、そんな音は聞き取れなかったけれど、木のいのちがそこに内在していて、深いふかい瞑想にふけっているような気配を感じました。それはしんとしていて、木の内側にあるはずなのに果てしない広がりのある、とても深遠なもの。そうしていると、心をまるごと持っていかれそうな安らぎに満たされてしまい、ずっとこの時間が続けばいいのに、と思ってしまうあやうさがありました。

「クスノキは、ものすごく成長が遅くて、いつ見ても同じようなんだけど、ある日気がつくと大きなおおきな木に育っている。」と教えてくれたのは父でした。それを聞いて、まだ20代だった私は、そんな風に自分の道をあるいて、そんな風に人生を歩んでいけたらいいなあと、それはそれは大きなクスノキを見上げたものでした。そして

クスノキのように自分を見失うことなく生きていこう ゆっくり

という短歌を詠んだのでしたが、もうそんなことはすっかり忘れていました。あのころのひたすらな気持ち。にはもう戻れないけれど、少しだけゆとりを持って、生きていけているかもしれない、と感じた10月最後のにちようびでした。

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2006年10月28日 (土)

苗職人のたましいの声

みなさまこんばんは。今日はまじめに植えもん屋的なことを書きます。

まき衛門は子どもの頃から凄腕の職人さんの苗に接して育ってきました。花や野菜の苗は、いつもその苗職人さんから直接仕入れていたからです。彼の作る苗は、花ならとても発色がよく、めちゃめちゃ咲くし、野菜なら多分他の人の作った苗の3倍の収穫が出来る、とにかくものすごい馬力のある苗でした。その苗をつくるために、彼はいつも工夫を重ね、一生懸命に土をつくり、植物に負担をかけず、その性質に忠実に、あるいは季節の声に忠実に、ただお客さんに喜んでもらいたくて、こつこつこつこつ仕事をする、そういう人でした。

だから彼の苗は花市場でも一目おかれていて、競りではいつも一番か、それに近いくらいの高値のつく一級品なのでした。花市場で、いろんな生産者さんの苗が一堂に集まっているのを見ると、残酷なくらいはっきりいい苗と悪い苗の差がわかります。そして、彼の苗はどの苗より背筋が伸びていてきりっとしていて、生命感にあふれているのでした。ああ、彼を超えるような、本当の職人さんと呼べる苗屋さんは、出てこないかもしれないとさえ思われました。

が、あるとき、花市場で下見をしていると、なんだか荒削りなのに、すごくオーラ、というか、メッセージのようなものを感じる苗が並んでいるのをみつけたのです。花からものすごく心の声が伝わってくるような感覚。何かが他の苗と違うのです。で、早速次の日の競りで仕入れて店におきました。すると、すごくいいのです。持ちがいいし、次の花ががんがん上がってくる。あ、この生産者さんは、まだ完成されてないけれどこのままいくとすごいものを作る人になる、とまき衛門は感じました。

その直感は当たりました。その人の苗は季節を重ね、市場に出てくるたびに、どんどん洗練され、とてもモダンな配色で出荷されてくるようになり、その苗の並ぶ一角はとても気の利いた、あるいは心をくすぐるような空間となったのでした。最初はまき衛門だけがこつこつその苗を続けてしいれていたのですが、だんだん他の業者さんもその魅力にひきこまれ、ついには毎回考えられないような高値のつく苗となったのでした。

こんな素敵な苗をつくる生産者さんて、どんな人なのかしら、とすっかりファンになってしまっていたまき衛門。いつかぜひ一度お会いしたいと思っていましたところ、その願いは叶えられたのでした。競りの前日、いつもよりかなり遅い時間に下見に出向いたまき衛門は、トラックから苗を運び出している二人の女性を見かけました。その手に、あの素敵な配色の、いきいきとした苗があるではありませんか。一瞬心臓がとまるかと思うくらいときめいたのですが、勇気を振り絞って、「M園芸さんですか?私、あなた方の苗の大ファンなんです」と声をかけたところ、その手をとめ、逆にまき衛門を質問責めにしたのでした。

その方々は母娘で生産をされており、直接販売店の生の声が聞きたい、とのことでした。どんな種類の、どんな色やかたちの花が求められているのか、どんなものが消費者の心を動かすのか、と。それはそれは熱心な方々で、町で花屋を見かけては必ずその品揃えを視察し、種苗会社のカタログをかたっぱしから研究し、どの品種を育てるかを考え抜き、出荷の際には従業員全員で配色について意見を交換するのだとか。そして娘さんはいつもいつも、どうしたらいい苗、おしゃれな苗が作れるのかと、そのことばっかり考えて悩んでいる、とのことでした。

長いことその母娘と話し込んだのでしたが、彼女たちの言葉にますますファンになり、そして、苗が発していたあの心の声の正体がわかったのでした。あれは、彼女たちが苗を作るときに込めた心の、あるいはたましいの声だったのでした。だからその苗は魅力的なオーラを発していたのです。そんな苗を仕入れて店に置くとき、まき衛門はとても幸せな気持ちになります。そして、その苗のポップには、尊敬の念を込めて必ずこう書きます。「腕の良い職人さんが作ってくれた苗です。」と。そして、その言葉がお客様の心に届いて、ご来店の際、こう言ってくださいます。「あの、職人さんの苗、入荷しましたか?」と。

みなさま、心を込めた仕事は、きっと人の心に届いて、その輪がひろがっていきますよ。くじけずに、がんばりましょうね。それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2006年10月26日 (木)

植えもん屋だめ衛門

みなさまこんばんは。学校、銀行、官公庁が苦手なまき衛門でございます。植えもん屋ですのでもちろんこのようなところの方々と取引もあり、配達、植え込みなどでおうかがいすることもあるのですが、あの独特の空気感に神経がぴりぴりしてしまって、しかも四方をコンクリートに囲まれてしまうと、酸欠の金魚状態になってしまいます。あまり長い時間おりますと「ああ、早く娑婆の空気が吸いたいっっっ。」と、挙動不審になる始末。こんな私がかつてスーツをびしっと着込み、首にはスカーフなんか巻いたりして、チョーク片手に古文漢文現代文の授業をしていたとは、誰が想像するでありましょう。いや、しない。(反語)

で、その苦手とするところの銀行に勤めていて、出世街道まっしぐらの友人から「とにかく来い」と急な呼び出しがありました。彼がかつて小さな支店にいた頃、花壇の植え込みや観葉植物の注文をしてもらっていて、少々無理な予算の希望も聞いていたので、本店に移動になったとはいえ、また同じような話だろうと思って、かなり気楽~に出かけたところ、いきなり本店2階の何々プロジェクト準備室と書いてある部屋のさらに奥の応接室に通されました。何か、ちょっといつもと違うなあ、と思ってきょろきょろしていると友人とお偉い方々がまき衛門の前にずらっと並び、次々に名刺をくださるではありませんか。何の話かまったく知らずに来たため、心の準備もなく、すっかりぱにくってしまったまき衛門は、自分の名刺を取り出す心のゆとりもないまま硬直。あたふたとすっかりだめ衛門になってしまったのでした。

「実は今度社運をかけて新しい部門を立ち上げるため、社屋の1棟を改装中ですが、外観が無機質で、堅苦しいのです。誰でもが気楽に立ち寄れて、ちょっと人目をひくような雰囲気を植物で作ってほしいのです。」偉い人々に囲まれ酸欠金魚になりかけていたまき衛門。が、この話を聞いたとたん、すっかり息を吹き返しました。それは私がもっともやってみたかった仕事のひとつ。そして植物は人を引き寄せる力があるとずっと感じていたので、これはぜひお引き受けしなくては、と正気を取り戻し、その信念を熱く語ったのでした。

で、屋外の現場に出て更に元気を取り戻したまき衛門、具体的な意見をばしばし伝え、どうやら偉い方々の信頼をいただくことに成功、ではよろしく、ということに。

あ~、良かった~。だめ衛門のままで帰ったら、もう今夜は眠れないところでした。負けっぱなしではいられない。1勝1敗にもちこめたことで、次回、おうかがいするときにはもっと頑張ろうという前向きな気持ちにももっていけたし。友達の顔も潰さずにすんだし。本当に良かった。

最近いい運気を感じているまき衛門ですが、それはもちろんいいことしか起きないわけではなく、へこたれることがあっても決してそのままではなく、きっちり次に繋げていける流れの良さということだろうと思います。すべてが自然な流れ、と申しましょうか。だから、剪定の手伝いで全身がぶつぶつちゃんになるくらい虫にかぶれても苦しくないのでした。「このかゆみが吹き飛ぶくらいのいい仕事をまたご注文いただいたし~」とか思って。

それではみなさん、ごきげんよう。明日も心すこやかにお過ごしくださいませ。

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2006年10月23日 (月)

寄り道、流木、植えもん屋

みなさまこんばんは。このブログを書こうとして2度も間違って全部消してしまったまき衛門です。これは何かののろいなのか。いえ、たんにまき衛門がどんくさいだけでございます。ああ、そのせいで過去何度書いた記事がお蔵入りしてしまったことか。時間かかるのに~。もっと短くすればいいものを、校長先生の朝礼のお話と一緒ですな。ついつい長くならずにはいられない。普段ははにかみやで無口なまき衛門ですのに。(嘘ではありません。)

昨夜は久しぶりの雨でした。ビールを飲みながら「日本庭園の心得 基礎知識から計画・管理・改修まで」という本をぱらぱらと読んでいると、雨をはじいて走り去るタイヤの音が耳まで潤すような心地よさ。あ~明日は水やりしなくていいな~、何しよっかな~、とほろ酔い気分のまき衛門でしたが、朝おきたらまぶしいくらいの晴天。地面はからからになっている。がっくし。ということで、いつものとうりの植えもん屋。で、急な植え込みの仕事と管理を任されている畑の水やりに出向きました。

畑は店から30分くらいの所にあり、海が近いのです。なのでせっかくだから海を見て帰ろうと。ついでにいい流木があったら拾って帰ろうと寄り道しちゃいました。

_026_2最初はここに行きましたがいい流木がなかったので

_027_4次にここの砂浜に来てみたのですが、とてもきれいな横顔の男性がひとり海を見ながらたそがれていました。邪魔しちゃいけないな、と思ったので

_033_2 今度はここに来ました。が、ここは釣り人が等間隔でずらっと並んでいて流木どころではございません。

_040_1 それならここだ、と川と海の交わる河口にやってきました。この間美容院の花壇のメンテナンスに行ってきたため先ほどの写真から1時間半くらい経っております。

_045_1 下に下りるとこんな砂浜があって、

_041_2  こんな荒々しい木や、

_043_1 こんな木も横たわっている。

_042_1  近づくとますますいい流木っぷり。でも大きすぎて運べません。

_044_1 こんな仙人のように渋い流木も鎮座していました。が、夜になったら動いてそうなので連れて帰るのはやめました。

_046_2 結局まき衛門的どんぴしゃの流木とは出会えませんでしたけれどそれはそれでいいのです。空にはとんびも飛んでいて、ナイスな寄り道でしたので。

土手の草刈をしているおじさんたちに変な目で見られつつ車に乗り込んだまき衛門。それはそうでしょう。平日に散歩するでもなく、ギャルソンエプロンを風にひらめかせ、帽子を何度もとばされつつ、デジカメ片手に流木探しをしている泥んこ姿のレディーは多分あまりいないから。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2006年10月21日 (土)

ママ衛門へちま水

みなさまこんばんは。日中セミが鳴いていておののいたまき衛門でございます。なにしろお暑うございます。確かに九州は南国ではございますが、だからって神無月は秋でございます。そろそろ半袖を卒業したく存じます。

さて、最近はいろんな仕事と同時進行で、お庭の仕事もさせていただいております。あるお宅の玄関まわりの生垣を取り払い、枕木と、当植えもん屋手作りのラティス、ベルギーレンガ、カラー玉砂利を使ってのフロントヤードづくりでございます。まき衛門はデザインもいたしますが、少数精鋭の植えもん屋ですゆえ、実際の施工にも携わります。ようするに、スコップで穴を掘ったり、枕木や材木やレンガを運んだり、セメントをこねたり・・・と何でもやります。なので25キロのセメントなど軽がる運べてしまう。

いつだったか、地域の運動会の運命競争にかりだされたことがあり、「米10キロを抱えて走る」という課題にあたったのですが、片手でひょいっと抱えてゴールまで爆走。ぶっちぎりの1位だったことがございます。景品は洗剤でした。話がそれました。まあ、お日様の下で泥と土とセメントにまみれていると、身体には良いのですが、お肌にはよろしくありません。一日が終わるとぱりぱりにつっぱっております。ついでに申しますと、いつ出来たかわからない傷や打撲のあとがいっぱいでございます。

まあ、傷のほうは放っておいてもそのうち勝手に治りますけれども、お肌のほうはそうはまいりません。看板娘は顔が命、あ、いえ、笑顔が命。ぱりぱりのお肌ではお客様に良い笑顔はつくれません。そこで、秘密兵器、「ママ衛門へちま水」の登場とあいなります。これが良いのです。

夏の間育てていたへちまの茎を、満月の晩、はさみで切り、その根っこに近いほうの切り口を一升瓶に差し込んでおくと、なんと、多いときでは2リットル近いへちま水が取れるのです。これにまき衛門の母、ママ衛門がエタノール、グリセリン、ホウ酸を加えてガーゼでろ過し、へちま水を原料とするところの化粧水を完成させるのです。自家製の化粧水を作り始めたのは、ご高齢なのに、とってももちもちしているお肌のお客様に出会ったから。秘訣をうかがうと、「ずっとへちま水の化粧水だけ使っている」とのこと。それならば、とママ衛門はさっそく翌春からへちまを植え、初秋にへちま水をとることにしたのでした。

実はここ数ヶ月、へちま水がなくなっていたため市販の普通の化粧水を使っておりました。が、なんだかしっくりこないというか、肌に入ってこないな~と感じていながら、こんなもんかな~とその感覚に馴染んでいたのですが、この秋、やっと出来てきたへちま水を使ったとたん、うるおいがじわ~っと肌にしみこんでいくのがわかりました。そして、そのあとほっぺたに触れていると、すごくもちもちして気持ちいいのです!これよ、求めていたのはこれなのよ!と嬉しくなってうふふふっと妖しく笑ったのでありました。

と同時に、満月の夜、ものすごい勢いで大地から水を吸い上げるへちまの力強さと、へちまという植物の茎を流れた水が、それまでとは全く違う成分を備えて出てくるという神秘に心うたれます。そしてその恩恵を受けるママ衛門とまき衛門母子。「最近きれいになったね」といわれるようになったのは、きっとへちま水が肌だけでなく、心までうるおしてくれているからに違いありますまい。間違ってもおせじをいわれたと思ってないところがこの母子の素直~なところでございます。

みなさま、自家製に限らず、昔からあるへちまコロンとかでもけっこういい感じになるようでございますよ。日焼けした肌にも良いようでございますよ。個人差はあるかと思いますけれど、ぜひ一度お試しあれ。

それでは本日はこれにて失礼いたします。お肌のためにも良い眠りを・・・。では、ごきげんよう。おやすみなさいませ。

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2006年10月19日 (木)

競りの神様。

競りは生き物だ、といつも思う。毎週、同じ花市場に、同じ顔ぶれの同業者が集い、競りをする。まず屋外の植木や苗から始まり、屋内の蘭、観葉植物の大鉢、季節の、あるいは定番の鉢物を競っていく。それは毎回同じ風景のようで、実はただ一度として同じことのない時間の連続でもある。欲しい、と思う植物に狙いを定め、他の業者とのかけひきをしつつ、指文字で値段を提示し、落とす。すごくうまくいく日もあるし、逆にまったくだめでだだすべりし、自分でも訳わからんものを買ってしまっていることもある。また穏やかに、ふつーな感じで終わる日もある。始まって終わるまで予測がつかない。だから競りは生き物だ、と思うのだ。

で、年に数回、ちょっと不思議な感覚で競りをすることがある。それは例えれば、競りの神様が身体に宿ったような感じだ。今日がまさにそうだった。競りの直前、快晴の空を見上げてすーっと息を吸った時、「あ、今日は降りてきてる」という予感がした。そして最初に侘び助の苗木を競り落とした瞬間それは確信に変わった。「見える!」誰が、何を欲しがっているのか、どれくらいの値段を提示しようとしているのか、気配で感じるのだ。たくさんの人数で競り合いになれば、当然高い値段を最初に出した業者に優先権がある。いい苗を取れる。それを「頭を取る」という。出遅れると、だめな苗を買うはめになったり、最悪買えないこともしばしば。気合が入っていないとそのタイミングをとらえられない。が、今日はばんばん頭を取り、ばしばし競り落としていった。しかも殺気だった業者にもみくちゃにされても、冷静に場の流れを読んで、競り人と呼吸を合わせることが出来た。

それは、単に調子がいい、という感じではなく、自分の意識を超えたところの感覚で、自分に宿った何かが勝手に動いているようですらある。こうなると、もう私はただ思えばいいだけだ。次はあの花だ、と。するとそれはちゃんと手にはいる。そして競りが終わり、仕入れた花を車に乗せ終えると、とても美しい充実感が漂っている。「どれも、すばらしいものばかりだ」と。

もちろんこんなことはめったに無い。まき衛門の心が競りに向かって澄み切っていないと神様はやってこない。実際先週は競りデビューして以来初めての敗北的な競りを経験し、もう二度とちゃんとした競りは出来ないかも、と恐ろしくなったものだった。が、その翌週に、こんな素敵な時間を用意してくださるとは、競りの神様もおつなことをなさると思って嬉しくなった。

2年くらい前初めてこの感覚を味わったとき、夢うつつの中にいるような感じだった。そして、私って、もしかして天才?と思ったのだけれど、そんなことはなく、翌週からはまた普通ーに競りが始まり、終わったのでした。

で、やはり今日そうだったからって、来週はどうかなってわくわくして行っても、多分同じようにはいかないのです。競りって生き物ですのでね。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2006年10月13日 (金)

メタセコイアに会いにゆく日。

最近あるショッピングモールに通っている。お買い物、のためではなく、メタセコイアという木に会いに行くためだ。イベント会場を取り囲んで4本が豪快に立っている。

メタセコイアをご存知だろうか。地学を専攻された方や、地球の歴史に興味のある方なら、あるいは理科の時間に、聞いたことがあるという方も多いと思う。たくさんの化石として発見されている木であり、中国でその原生種が発見された、生きた化石とよばれている木でもある。つまり太古からその独特ないのちを脈々とつないできた植物なのだ。

彼は生きた化石として大事にされ、あがめたてまつられているかというとそうでもなく、普通に街路樹や、公園の植え込み材料として用いられ、普通に見ることが出来る。それだけ丈夫で、使いやすいということだろう。

このメタセコイアのやわらかな、まるで鳥の羽のような葉が密生している風情や、ほぼ縦長の円錐形に育っていく立ち姿や、無骨でまるで色気のない木肌などが好もしくて、ついつい見入ってしまう。そして、いまはまだ淡い緑色をしている葉が、秋の深まりとともに絶妙な褐色へと変化していくさまは、実に渋いのである。しかも多くの針葉樹が常緑なのに対し、彼はその葉をことごとく散らし、冬をすごす落葉樹だ。季節感まで味わえる。夜は眠っているように見える。なんて表情豊かで、個性的で、朴訥とした、すてきな木なんでしょう。

メタセコイアとともに呼吸をしていると、長い長い地球の時間の中に私たちがいて、そんな壮大な世界が、日常の、こんなショッピングモールなんかに潜んでいる愉快さを感じるのだ。私だけが知っている秘密のような気がして。そして、ここのメタセコイアが街路樹と違うのは、3階の屋外通路から、生メタセコイアのわさわさした葉を見下ろせること。メタセコイアはかなり背が高いので普通は見上げることしか出来ないのだ。なんか、好きな人の、新たな一面を見るようで、うれしかったりする。私って、変かもしれない。

みなさま、日常の中に、地球のいのちの声や、時間を超える扉はひそんでいます。ぜひ探し当ててくださいませ。それではまた。ごきげんよう。

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2006年10月12日 (木)

問題作と失敗作

みなさまこんばんは。7歳年下の弟がいるまき衛門でございます。マイペースな植えもん屋一家にあって彼だけはまじめなサラリーマンをしております。一つ屋根の下に暮らしている、まあまあ仲が良い姉弟ではありますが、当然のことけんかもいたします。

いつだったかちょっと激しいけんかをしていたところ、見かねた母が「もう!あんた達はうちの問題作と失敗作だ。」と一喝しました。二人は一瞬し~ん、としたのですがそのあと今度はどっちが問題作か失敗作かでけんかになりました。問題作なら、「○○監督の衝撃の問題作いよいよ公開」みたいな感じで大いに可能性を秘めた言葉でございますが、失敗作は、もう救いようがない。「お前が失敗作だ」「いえ、私は問題作よ」と言い争い、結局は結論がつかないままに今日にいたっております。阿呆な姉弟としか言いようがございませんな。

さてさて、この弟が最近何やら悩んでいる様子。仕事が夜勤続きの不規則な激務のうえ、人間関係もややこしい模様。「頭がおかしくなりそうだ!」といらいらしている毎日なのでした。そこで母が彼を休みの日に、当植えもん屋が管理をまかされている畑の、草むしりの手伝いに連れ出しました。すこーんと晴れた秋の日に、自然の中に身をおけば、いい気分転換になるのではないか、ということで。

で、家族を見送って「い~な~。私も行きたかったな~。」と思いつつ水やり、接客、店の片付けなどしつつ一日をすごしていたところ、かなり爽快な顔をした弟が戻ってまいりました。そして、開口一番「俺、仕事を辞めて姉ちゃんの弟子になることに決めた。」と言ったのです。「へっ?」と呆気にとられるまき衛門。一瞬意味がよくわかりませんでした。だってあんた、植えもん屋の仕事がいやでサラリーマンになったんじゃないのか。大変だし、儲からないし、休みはほとんどないし、とかいって、と。

ぽか~んとするまき衛門に彼は説明するのでした。自然の風を感じながら働くことがいかに身体にここちいいかを。お天道様のもとで汗をかくことがどれほど清々しいかを。「で、なんで私の弟子なの?」「帰りに姉ちゃんが植えた美容室の花壇をみた。何気ないのに、すげぇ迫力があった。」「へ~」「だから、ねえちゃんの弟子をしながらスタイリッシュでラグジュアリーでシャイニーな庭師になることにしたから。」「へ~」

ちょっとうれしかった。しかし、スタイリッシュでラグジュアリーでシャイニー。彼はどこへ向かっていくのか。ま、要するに、お洒落な庭師ってことのようだから、それは賛成。

そして彼はついに昨日上司に仕事を辞めると言ったそう。彼の植えもん屋界の力はまだ未知数だけれど、結構いいセンスはしていると前から思っていたので、あとは自分で何かを掴み取ろうとする気持ちを持つことでせう。

この秋、変化の兆しの見える植えもん屋。ふたりそろって衝撃の問題作となりそう、かな。まだまだすべてが未知数な姉弟でございます。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2006年10月 9日 (月)

夕刻の光に花たちは

夕光(ゆうかげ)の中で色を失いそうな花たちがすきだ。特にこの時期の、凄みを増した植物の色合いは、ただでさえ美しいのに、夕日に照らされたそのたたずまいは物狂おしくさえある。

_007_4 パイナップルセージの赤も

_031 秋明菊の薄桃色も

_032_3フジバカマの白も

_041_1 宿根サルビアの水色も

_028_2 ムラサキバレンギクのピンクと虫の緑色も

_044 姫ノウゼンカズラのオレンジ色も

_048 大葉アキランサスの赤も

_043 カライトソウの青みがかったピンク色も

_042  斑入りカリヤスのシャープなラインも

_001_3 ローズシャンデリアのローズピンクも

_035_1

クッションマムの可憐さも

_039_1 チェリーセージいちごみるくの無邪気さも

_046_1 ヘンリーヅタの紅葉も

_010_1 パープルファウンテングラスの赤らんだ穂も

みんなみんな愛おしい。

人気ガーデナーの吉谷桂子さんが、寄せ植えの作品のいくつかをやはり夕刻の光で撮影している。特に秋色の花たちを。さすがだと思った。

植物に携わる者の多くが、植物が一番美しく見える時間帯を「夕刻」だと答える。どうか、ぜひ植物の、夜に向かう前に見せるひとときの表情をごらんあれ。まき衛門の技術では、本当の輝きを再現できてないと思うから、ぜひご自分の目で、確かめていただきたいと切に望むのでした。枯れゆく草の風情もあわせて秋の気配の揺らぎを、ご堪能いただきたい。

それではまた。良い秋を・・・。

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2006年10月 8日 (日)

かえるのおじちゃん、をリスペクト

みなさまこんばんは。飲み会明けで寝不足のまき衛門でございます。ビールジョッキ3杯、ロングタイムのカクテル2杯を飲んでも誰一人酔っ払うことなく平然と会話を続ける4人のレディーたち。まだまだ飲み足りない感はあったものの、唯一の既婚者が、だんなさんの実家の稲刈りの手伝いを翌日に控えているとのことで、お開きとなったのでした。あ~、もっと飲みたかったな~。ま、来週は別の飲み会が入ってるのでそっちに期待するとしよう。

さて、そんなこんなで朝ちょっとだけ寝坊させてもらったまき衛門でしたが、まだまだぼう~っとしている頭を抱えて仕事の準備をしていると、「さっきかえるのおじちゃんが来たよ」との母の声が。「今日はブロッコリーの苗を全部買っていってくれたよ」と続ける声を聞きながら、「そろそろ来る頃だと思ってたけど、まさか今日とは・・・会いたかったなあ・・・」と思ったのでした。

かえるのおじちゃん。彼との出会いは鮮烈だった。それはまだまき衛門がこの仕事に就いて間もない頃。店の外でずいぶん長いこと、ある鉢植えの植物にじっと見入っていた中年男性がいました。そしておもむろにその鉢をレジに持ってきて「これをください」と。その鉢を見ると植わっている花の隣にたんぽぽが咲いていたのです。それに気づいた母が抜こうとすると、彼は「あ、そのままで。このたんぽぽが欲しいんです」と言ったのです。一瞬呆気にとられた母とまき衛門でしたが、それなら、とそのままお渡ししたのでした。

それからというもの、ふらりと現れては「水辺に咲く花をみんなください」「ちょうちょがよく蜜を吸う花をください」「虫食いのブロッコリーとキャベツの苗をください」と、明らかに他のお客様とは違うリクエストをされるのです。あまりの独自路線ぶりにある日母が何のためにこのようなものを求めるのかお尋ねいたしました。すると、彼はさらっと「ビルの屋上に、生き物が集まる庭をつくりたい」と答えたのでした。

今でこそ、屋上緑化だの、自然の生態系を庭に再現するビオトープガーデンだのという庭のありかたが一般に知られるようになりましたけれど、10年以上も前の、しかもまわりにざっくばらんに自然が存在するこの町で、自然をわざわざ屋上につくることなど、ましてや青虫がいっぱい葉を食っている野菜の苗を買うことなどありえないことでした。彼は何故そんなことを思いつき、始めたのか、深いことまでは聞けませんでしたが、自然派植えもん屋としてはこの男性を好もしく思い、ひそかに彼の来店を待つようになりました。

そして「かえるのおじちゃん」の名前の由来。いつものようにふらりと現れ、好みに合う植物を物色していた彼が、ある植物の葉っぱのうえにいたかえるを見つけ、「これ、売ってください」と言い出しました。たいがいのリクエストには驚かなくなったものの、これには面喰いました。けれど、「勝手に住んでるかえるだから、お金なんていりません。いくらでもどうぞ」と言うと彼はハッとした顔で「このかえるはここが好きで住んでるんだから、連れてかえるわけにはいかない。そうだ、そうだ。」と答え、遠慮深く、申し訳なさそうに花だけを買って帰ったのでした。生き物が生きたい場所で生きたいように生きることを尊重する、ということだったのでしょうか。自然を守って「あげる」のでもなく、自然を無理やり自分の都合に合わせて身近に「置く」のでもない、あるがままの姿をそっと受け入れ、自然に寄り添おうとしているのかもしれない。そんな気がしました。

そのとき以来、私たちは彼を親しみをこめて「かえるのおじちゃん」と呼ぶようになりました。そしてちょっぴりのリスペクトの意味もこめて。それにしても、ですね、植えもん屋にはまだですね、水ための容器の中にですね、

_009_3 まだこのようにおたまじゃくしがいるのです。もう2ヶ月くらいいるんだけど、足が生える気配もない。このままではおたまじゃくしのまま冬に突入しそうなんですけど・・・。

それでは本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2006年10月 3日 (火)

日本の手仕事をリスペクト

みなさまこんばんは。最近イサムノグチというアーティストに興味があって、パソコンでしらべようとしたら「イサムの愚痴」と変換されてしまったまき衛門でございます。時々男友達から電話がかかってきて、「奥さんが実家に帰って戻ってこない」とか、「会社の社長の愛人のお世話係をさせられてて、人間関係に悩んでいる」とかいう愚痴を聞かされます、そんなことを迷える子羊のまき衛門にいわれても・・・、と思うのですが、きっと話すだけでもすっきりするんだろうなーと思うとついつい「ほうほう」と聞いてしまい、気づくと3夜連続2時間の電話ということに。というか、最後はまき衛門のお説教と、ありがた~い言葉、とかで長くなったりもするのですけども。一時期お説教パブでも始めたら植え門屋より儲かるんちゃうかなーと考えたこともありますが、まき衛門にママになる才覚はないもよう。でも、イサムノグチの愚痴なら聞いてみたいわ~と思うのでした。

さて、まき衛門は古い道具が好きでございます。それは、昔の日本人の美意識や心意気を感じるからです。そして丈夫で使いやすくて、あたたかい気持ちになれます。で、そう思ってると道具のほうからまき衛門のもとに集まってきてくれるのでした。

_003_3 これは、子どもの頃叔母からもらった鉛筆けずり。叔母が高校時代から使っていたもので、多分40年くらいは現役のはず。これにくらべたら電動のものなどへにゃへにゃです。

_002_3 見よ、この美しい芯の尖り具合を・・・と言いたくなる削れっぷり。今の鉛筆削りにこの心意気はありますまい。

_007_3そしてこの文机は、多分50年くらい前につくられたもの。知人からいただいたもので、古い木の色と質感が、棟方志功の版画のような美しさです。抽斗の取っ手が貝のかたちのような細工となっております。左右の脚にも和室の欄間のような彫りが施されており、暮らしの中で美を楽しめるようになっているのです。以前は店に飾って山野草の盆栽などを置いておりました。今はまき衛門の机として活躍中。

_006_5 で、その抽斗の中に入っているのは仮面ライダーの色鉛筆とかジャングル大帝のクレヨンとかロッキーチャックの塗り絵とか。10年くらい前当時のものを当時と同じくらいの値段で売っていた駄菓子屋さんを発見し、つい買ってしまったのでした。まき衛門は昭和的オタクかも。あまり萌えておりませんけども。

_012_2 これは店の中に飾っている唐箕(とうみ)という農機具。これで穀粒の選別や混ざりものの除去をしていたようです。この形がまたオブジェのようで美しいのです。昭和の初期のものでしょうか。これも知り合いの陶芸ギャラリーをしているお宅からいただいたものです。

_011_3 このハンドルをまわして、風をおこし、その力で選別するのだそう。ただ、まわすだけのハンドルなら、こんな細工はいらないはずなのに、日本人は農機具にまで心をこめた仕事を施していたのです。その心の有様に胸打たれずにはいられません。

_009_2 これはまき衛門の手仕事。ご注文をいただいて竹垣をつくりました。裏十文字綾掛け、いぼ結びという結び方で、竹を棕櫚縄で縛ってつくります。父との合作ですが・・・。昨今はプラスチッック製の竹垣もあるのですが、植えもん屋としてはあくまで本物の竹の味にこだわるのでした。だって、時間がたったらプラスチックは汚くなるだけだけれど、自然界の存在するものは風格が生まれるんですもの。

とまあ、そういったわけで、本日はこれにて。みなさまごきげんよう。

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2006年9月30日 (土)

へこたれません、その日まで。

みなさまこんばんは。夢破れたり、まき衛門でございます。茫然自失、の一歩手前といったところでしょうか。

昨年の晩秋にまき衛門はある寄せ植えを思いつきました。細い葉が縦のラインを伸びやかに描き、その渋い褐色(ほんのり赤や黄土色や緑が混ざって微妙な色が出る)が魅力のカレックス・ブキャナニーを真ん中に配置し、まるで針金をかけたみたいに枝がくるくると自由奔放に伸びて行く雲竜ツゲという低木をまわりにあしらい、これらをプラムピンクの陶器鉢に植え込む、というもの。植え込んだ当初は貧弱だけれども、どちらもほとんど手のかからない丈夫な植物。順調に育てばかなりかかっこいい植物のオブジェが出来上がるはず、と直感したまき衛門。さっそく寄せ植えをつくり、店の隅に置いたのでした。あとは自然にまかせておけば時間が彼らを育ててくれる。2~3ねんはかかるかもしれないけれど・・・。そして、まき衛門の期待通り、彼らはいい味だしながら順調に育っておりました。

ところが2,3日まえからどうも様子がおかしいのです。真ん中のカレックスがだらしなく放射状に広がり始めたではありませんか。「あ、もしかして」と思い、葉を引っ張ってみたところ次々に抜けていくのです。しまった、やつの仕業だ、と土を掘ってみたところ、やはり大物のやつがごろごろと出てきたのでした。まさかこの鉢までやられるとは思ってなかったため完全なノーマークだったのでした。

_001_2 これが根をほとんど食われてしまったカレックス。植え込んだときは元気な根がいっぱいでておりました。

_002_2 私たちがやりました。

彼らは土に潜んでいるコガネムシの幼虫です。近年これがプランターや花壇の中からごろごろと発見されております。そして根を食い荒らすため植物が土の上に乗っているだけの状態になり、弱っていくのです。この幼虫が出てきた土を素手で触ると、不思議と土に生気がない。いきいきとした弾力が全くなくなり、土がべたっと無表情な感じがする。逆に良い土は素手で触っても気持ちがよい。ほくほくしていて馬力を感じるものです。

で、お客様と話しているとよく耳にするのが、この虫を見つけても「カブトムシの幼虫かと思って土に戻した。」というコメントでございます。いいですか、みなさん。カブトムシの幼虫はこんなところには潜んでおりません。コガネムシの幼虫は根っこを食べて大人になっても恩返しに来てはくれませんからね。なので、見つけたら捕殺するか、専用の薬剤を撒きましょう。なければ住化タケダのオルトラン粒剤でも効果があるもよう。

で、まき衛門としては、また何かマニアックな寄せ植えを思いついたらやってみるほか無い、とへこたれてはおりません。せっかくこの仕事をやっているんですもの。一般うけするものばかり作っていては面白くないではありませんか。それは売るためにつくるのではなく、まき衛門の好奇心と喜びのために。そして出来ればだれかの本能を揺さぶるようなものになれば最高です。それはまき衛門の才能でつくるものではありません。きっかけをまき衛門がつくっておけば、あとは自然がつくりだしてくれるものです。だから楽しいのです。

それでは本日はこれにて失礼いたします。みなさまごきげんよう。

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2006年9月28日 (木)

植えもん屋の休日その2

こんばんは。今部屋の中でこおろぎが走り回っておりました。まき衛門でございます。えー、ひきつづき能古島アイランドパークの模様を。

_001_1木の根方に生えているカタバミが良い雰囲気。

_003_2 こんな木の枝っぷりも見ていると素敵。

_060かわいいのでつい撮ってしまった竹製のすいがらくん。園内のあちこちに立っていました。

_008_1やる気のないやぎや、

_010 再現された古い民家のようすや、

_011_2 木陰のうどんやさんや、

_016_1 巨大かぼちゃごろごろ、

_045 こんな広場に、

_024_1こんな海。見えるのは金印で有名な志賀島。

_026_1 こんな景色も。手前にコスモスが咲きはじめている。あともう少しすると、一面がコスモス埋め尽くされるそう。この島は、とにかく時間がゆっくりゆっくりながれていて、心も身体もほぐれていく感じです。

_036 そして展望台に立つ美女(?)まき衛門。右のレディーでございます。後ろ姿ですけども。

_067約3時間を過ごし、幸せな気分で島を後にしました。

_039 行きも帰りも同じ船だったインド人らしき二人、ときらきらの海。

能古島は もうずーっと行ってみたかったあこがれの場所でしたので、念願が叶った一日でした。帰りは下道を通って帰ったのですが、夜の湯布院を抜け、由布岳」の登山道入り口を通るルートを選んで帰りました。運が良ければ野生の鹿にあえるからです。残念ながらこの日鹿にはあえませんでしたけれど、登山道入り口に車をとめ、夜空を眺めたら、すごい数の星と、きれいに流れる天の川を見ることができたのでした。 これはちょっと感動でございます。

それでは本日はこれにて失礼いたします。みなさまごきげんよう。 

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植えもん屋の休日

みなさまこんばんは。気分爽快まき衛門でございます。先日サラリーマンをしている弟が久々にゆっくりしたお休みがもらえたというので、どこかへ出かけよう、ということになり、福岡の能古島(のこのしま)まで行ってきました。まき衛門にとっても完全に仕事を離れての遠出は久しぶり。おかげですっきりさわやかでございます。で、その模様を写真に撮ってきましたのでご覧いただこうかと。

_033_1 高速道路と秋の空。この辺は県外からの観光客の皆さんに好評をいただいている山の景色がひろがっている。

_027_3 こんな景色や、

_034_2こんな景色がてんこもりでございます。

_017_1出発して約3時間。姪浜の港に到着。

_020_3この能古島まで船で10分。

_006_4 船から見える福岡ドーム(左の丸い建物)周辺。自然と都市が至近距離で向き合っております。

_058  能古島パークアイランドというところに行ったのですが、ここはとても不思議なところ。庭と、広場と、花畑と、古い民家と・・・。いろんなものがいっしょくたになって、まさに「好きにやっちゃって」という感じ。

次回につづく。

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2006年9月26日 (火)

ゆきあいの空と微熱と植えもん屋

みなさまこんばんは。植えもん屋まき衛門でございます。夏と秋の入り混じった時期のそらを、「ゆきあいの空」というのだそうです。夏と秋が行きつ戻りつしている感じが伝わってくる何とも美しい言葉でございます。今日もすっきりとした秋晴れだったのですが、夏の暑さもほんのり残っているような、「ゆきあいの空」と思われました。いい気候でございます。

が、この季節の変わり目が、まき衛門の心身の健康にとって、実にやっかいなのです。以前、様々な理由から一冬に2回もインフルエンザにかかって、3ヶ月間床にふせってしまったことがございまして、それ以来自律神経がへんちくりんになっております。で、普段はなんてことございませんのですけども、極端にストレスがたまった時や、季節の変わり目などに、体温調節ができなくなったり、微熱が続いて急に息が苦しくなったり、めまい、頭痛、悪寒、手足のしびれ、情緒不安定、もありつつ時にはものすごーく生きることが恐くなって、体が震え、勝手に涙がでてくるという。かつてはそれが四六時中でしたので病院の薬が手放せませんでしたけれども、副作用がきつかったのでやめました。その後知人のすすめで鍼灸治療をうけ、日常生活が普通にできる程度にまで回復したので、現在は自然治癒力を信じて、自分の心と体に戦わせているという